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日々の雑感を綴る場所。いつか何かを得られることを願って
”リアリティ”と”表現が丁寧な妄想”は違う。これは読むほうにも言えることだが、書くほうにこそ言うべきものだと思う。まあ大抵の人はお話を書いたりすることはないと思うが。
特にエロゲに言えることだけれど、”表現が丁寧な妄想”を”リアリティ”と勘違いして評価している人が多く見受けられる。本当のリアリティとは、そのお話を頭の中で想像するときにかなり細部まで世界を構築できる、ではなく、その逆、お話ではない日常にいるときにそのお話の内容が勝手に構築されるもしくは、お話の世界にいるときに勝手に日常のある部分を思い出してそのお話の世界に組み込んでしまう、であると私は思っている。つまり、自分の日常をそのお話に投射して違和感を感じない限りは、それはリアリティではなく妄想である。 書き手がこの間違いを犯した場合、それはそれは痛い文章ができあがる。書き手の妄想と理想だけで書かれているものは、その本人にしか面白さがわからない。また、丁寧な表現で偽装された妄想を崇拝する人間は、大抵よくわかっておらず、その巧みさや難解さをありがたがっているだけだ。いや、別にそれが悪いという気はないのだが。少なくとも、そうやってありがたがることによって、その作品には娯楽性や妥当性が生じている。 もっとも重要なのは勘違いをしないことだ。読み手が勘違いを起こすのなら良いが(それが主な狙いであるお話も多い)、書き手がこれを起こしてしまうと、その作品がどんなに素晴らしい要素を持っていようとただの恥さらしになってしまう。もちろん、妄想によって出来上がる素晴らしい作品だって数多くあるのだ。リアリズムとの微妙な線引きが、恥さらしとの境界線のように思う。 などとえらそうに言ってはいるが、書き手としての私はまだこの域を抜け出せていない。考えるのは簡単でも、実践するのは難しいのである。 PR この記事にコメントする
無題
商業作品ではあまりないと思う(強いて言うならるーすぼーいかな。まあ文才はあるから娯楽性に関してはあまり問題ないけど)
読み手が舞い上がってて痛いなーと思うことのほうが多いね。 小説の投稿サイトとかに行けば、結構たくさん「勘違い」があるよ。 リアルさの焦点ってのがうまく想像できないけど(多分この辺は個人差かね)、例えば、何も知らない人が夜神月の書いたデスノートの内容を読んだとしても、それがいくらリアルに書かれていてもやっぱりただの妄想だよね。そこには月の理想があるけど、それをわからない人にとっては退屈な絵空事でしかない。理想と妄想で書かれたってのはまさにこんなの。 まああの話は書かれたことが現実になるっていうのが月の勘違いを補完してて、さらに月の天才っぷりが妄想をリアルに近づけていくから面白いんだけどね。
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