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夢美猫
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日々の雑感を綴る場所。いつか何かを得られることを願って
懐古厨死ね。思い出の美化による現在の否定は、醜いだけだ。何も得られない。痛々しい。
前を向いている人は時間の流れに背中を押されながら生きているのに、彼らはただひたすら後ろを向いて、流れを真正面からもろに受け続けている。それでいて、いくら踏ん張っても周りと同じスピードで流される。そして流れの先にある障害物に気づけずに激突する。足をとられる。そうやってぼろぼろになって、ほれみろ今の自分はクズだ昔を良かったなどと馬鹿丸出しに垂れ流す。 そうやって懐古することでしか自分を確立できないやつ。現在を否定しなければ自分を認めることができないやつ。懐古厨は醜い。自ら進んで苦しんでいるのを、目に見えない巨大な何かのせいにしているだけだ。 前を向けば、選択しなければならない。後ろを向けば、選択はできない。流されるままどこか知らない場所にたどり着く。そのころには、彼らは巨大な何かに打ちのめされていて、ぼろ雑巾のようになった彼らを誰も見向きもしない。 それは、選択する苦しさとどっちがより良いだろうか。そんなの決まってる。得るものがなければ死んでいるも同然だ。死んでいるも同然なのに、生きている自分を疑問に思う。そして死ぬ。もっとも醜い生である。 はあ、また一元論だ。彼らは醜いが、もっとも救われない。誰も苦しみたくて苦しむやつはいない。自分がもっとも苦しまずにいられる場所が懐古だったとしたら、かわいそうなのはむしろ彼らなのだ。 結局、多くのことを考えたとて、すべてはメビウスの輪だ。裏について考えていたつもりなのに、いつの間にか表についても考えさせられている。それは無限大の領域だ。そして、無限大は人間には扱えない。いわば神の領域である。人は神を欲する。そして、神の領域はもう一つあるのだ。ゼロ。神を欲した人間が無限大にたどり着けないと悟ったときに、行き着く場所。それがゼロだ。 ゼロと無限大は神の領域である。誰にも扱えない。 堂々巡りの思考には飽きたな。何にもたどり着けない。たどり着くとすれば、今言った神の領域。誰にも扱えない、不変の領域。理解不能の真理。 ああ、どうでもいいけど、っていうか全然違う話になるけど、やっぱり橋本紡さんの本はすごいと思った。氏の本は、私の理想によく似てる。ここまでこのブログを読んでくれた奇特な人がいれば、ぜひ氏の「流れ星が消えないうちに」という本を読んでみてください。今年文庫化されたらしくて私もまだ半分くらいしか読んでないけど、私が小説を書こうと思ったときに、こういうのが書きたいと思ったものに本当に似てる。新潮文庫より、500円くらいです。 PR この記事にコメントする
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