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田中ロミオのAURA読み終わりました。

私はライトノベルはほとんど読まないんですが、田中ロミオは読みます。彼のお話には、彼独特のリアリズムがある。美少女ゲームのような、いわゆるオタクの世界で筆を執っていながら、その世界にうまく融和させつつ、リアリズムを突きつけてくる。田中ロミオがかかわった作品で私がプレイしたのは、最果てのイマ、ユメミルクスリ、ライトノベルの人類は衰退しました、そして今回読んだAURA。これだけだけれど、彼のリアルとフェイクのバランスは絶妙なものがある。ただし、「どちらも」を許さない。リアルとフェイクが曖昧な場所にいるものは、意思が脆弱になる。いや、リアルとフェイクに限らなくても良い。
どちらにもなりきれなかった結果、最果てのイマではフリークスになり、ユメミルクスリでは堕落に陥る。

AURAでは、フェイクに取り付かれたものは、みなリアルから目を背けようとしている人である。しかし、良子以外はそれをできていない。そして、良子はリアルを切り離している。とはいっても、良子側からは離れているようにみえるリアルも、逆からみればつながっている。当然である。
このお話の面白さはここだ。良子からは離れているが、実際は当然つながっている。これが実にイタイ。笑いさえこみ上げてくる。そして、当然彼女の行動に生産性は皆無である。この一風変わったリアリズムが、実に田中ロミオらしい。

結果的には、どりせんという無敵キャラがトリをつとめるのだが、これがまったく嫌悪感がない。むしろこのお話においては、どりせんと養護教諭と久米、そしてちょっと出てきた美術教師が、もっとも勝ち組の人間なのだろう。リアルにいながらフェイクを愛す。上でどちらもを許さない、と書いたが、正確には違う。いや、違うくはない。どちらにも足を入れていてはダメ。足を二本ともリアルに入れていれば、フェイクに浸かるのは何の問題もない。こういうことだろう。誰にでも、頭の中に潜めてある。それをわらじとして履かない限りは、人間たいていのことはできるし、許される。久米はフェイクを現実のものにした。履き違えなければ、フェイクには無限の可能性がある。表現、言論の自由とは、そういうことだ。

これは、履き違えてしまった勘違い中二病を更生するお話であると思う。むしろ、頭のなかだけの健全(?)な中二病には肯定的だ。無限のオーラ(AURA)がある。実際、私もそう思う。
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