忍者ブログ
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
リンク
フリーエリア
最新CM
[04/05 猫]
[04/05 トト]
[01/12 猫]
[01/09 ふがし]
[07/12 猫]
最新記事
(02/10)
(07/24)
(06/08)
(04/03)
(03/16)
最新TB
プロフィール
HN:
夢美猫
性別:
非公開
職業:
大学生
趣味:
カラオケ
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
忍者ブログ | [PR]
日々の雑感を綴る場所。いつか何かを得られることを願って
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。





来週はクリスマスですが、私はそんなこと関係ない日々を送っています。どうせクリスマスは夕方まで寝てますし。
そんなわけで、この季節にぴったりの曲を雌豚閣下が歌っていらしたので、貼り付けときました。泣けます。いろんな意味で。演奏も歌も上手すぎです。ぜひどうぞ。



それにしても最近何もしてません。勉強はもちろん、その他もなにもできません。休みは一日中着替えずにぼーっとしてますし。起きたら暗いですし。起床時間を改善するだけで、直ると思うのですが。。。
今の私にはムリです。

誰か、この自堕落から抜け出す方法を教えてください。いつまでたっても抜けられません。
PR


浅田真央が18才だって知ってめちゃびびった。あれ、15才くらいじゃなかったっけ。。。
18才って言ったら安藤美kえ、もう20才? ってあの人私と同い年だったんか……

あれだな、年齢を気にするようになったのかわからんけど、昔から知ってたはずの有名人の歳を聞いて「えっ」ってなることがよくある。10代のときは、有名人を若いか中くらいかで判断してて、自分の歳と比べたりはしなかったですよね。だから、若いのにすごい成績の選手とかが実は自分と歳が近いと知ると、びっくりします。若いってイメージが抜けないので、もっと年下だと思っちゃう。


まいいや。話は変わって、かぜひきました。めっちゃ喉痛い。。。でも、熱はそれほど高くないのでインフルではないみたいですね。食欲もあるし。新型とかおっかないニュースも流れてるので、まあよかったです。


カラオケ行こうとしてたのは断念せざるを得ないけどな……。喉が、喉がああああああ



最初に断っておくと、今から書くのは田中ロミオの作品で語られた内容を私なりに解釈したもので、私が心の底からこう思っているというわけではありません。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081211-00000006-yom-sci


別に、頭の中をのぞかれること自体が恐ろしいわけじゃない。もっとも恐ろしいと思うのは、科学が社会において絶対不可侵の領域に達することだ。

心が不可侵であることは、今の科学社会において最後の砦である。権利社会と言ってもいい。科学で料理できないのは、いまや心と権利だけである。
心は個室である。そして、権利である。心の中であれば、いくらでも自分の権利を遂行することができる。だからこそ、権利社会の行く末は個室の量産なのだ。

近代化が生み出したのは権利の拡大だ。そして、権利という言葉の真意は、果てしなく巨大で神聖なものであり、誰もがそうであると信じて疑わない。
しかし、実際にはそうではない。分割できるリソースには限りがある。社会における権利とは一定なのだ。100のものを、多くの人々が分け合っているにすぎない。権利を主張する者が増えれば、当然のように一人ひとりのそれは小さなものになる。この真意と事実のギャップが、全体に混乱をもたらす。
誰もが他者による自らへの介入を快くは思わないだろう。権利が横行する今の時代ならばなおさらだ。権利の真意を信じて疑わないものが、自らの権利が遂行できる範囲が余りに狭いという事実を目の当たりにしたとき、自らのアイデンティティを侵されないためにも、人々は個室を必要とする。話がそれるが、離婚する夫婦が増えるのもこのせいだ。誰もが自分の権利を主張する。しかし、それは思っている以上に小さなものだ。

人々の(信じられている)権利が大きすぎるから、逆に(実際の)権利を食うのだ。現代主張されているそれは、明らかに人々が享受し得るそれをオーバーしている。
だからこそ、物語で多勢が望まない個人的な価値観を提示して、それに従い行動させることが罪になった。権利を侵しかねないすべての事柄が罪になるのだ。結果、人々や果ては小説の登場人物までもが、悩むだけで結論を見つけることができなくなった。この一連の流れが、結局は権利をさらに小さくさせる。

科学の力を信奉する科学者が、人の心を0と1で説明できると考えるかは知らないが、たとえそう思っていたとしても公にそうは言わない。今の時代は心とその権利が不可侵だからだ。だがこのまま権利の縮小と科学の発達が進み、人の心が科学によって白日の下に晒されるとしたなら、良くも悪くもそれは恐ろしいことである。おそらくそれが、科学と権利の立場が逆転する瞬間だからだ。上の記事は頭の中が多少覗けるというだけで、それ以上のことを示唆するものではないと思うが、もし科学で心の中にメスを入れられる時代が来るのなら、そこにはもう心を拠りどころとするすべての芸術は一切存在しないのかもしれない。



SINが手に入りました。さわりしかやってませんが、正直お話の内容なんてどーでもいい。テキストはアホくさいし笑っちまうような感じだけど、


ビジュアル面はやばい。ワイド画面やばい。攻略約10時間の5800円で8Gって何なんだよとか思ってたけど、これはすごい。まさにビジュアルと演出のために作られたようなゲームだこれは。
OPムービーは相変わらずのフルアニメーションだし、それだけみればどこの神ゲーですかってレベル。ふたを開ければ……まあゴニョゴニョだけど。


スタジオメビウスは前からCG綺麗だけど重いってのが鉄板だったけど、ここまでやられたら脱帽するしかないっすね


時間はあるのにレポートもしない。かといって他になにかするでもなく無意味に過ごす。


乗り遅れたボートを待つように、ただふらふらと時間を潰している。いまだ次のボートが来る気配はない。水面をのぞけば自分の顔が映っている。知らないうちにいくらか老けた気がする。若さが消えうせた気がする。ボートは来ない。私はそのことについて連綿と文句を言い続けながら、それでもボートを待っている。

誰かが言った気がする。向こう岸には自分の足で行くもんだ。自分の力で越えるものだと。

後から来た人が奇妙なものを見るような視線で通り過ぎるのを感じながら、私は背を向ける。向こう岸にうっすらと見える光。誰もが目指し手に入れるため向かうもの。それをじっと見つめながら、来るはずもないボートをただひたすら待っている。ひたすら時間を潰す。水面に映る自分を見つめながら。



追記
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081202-00000207-jij-soci

はっきり言って異常。おっさんがやったならともかく、高校生同士で逮捕してニュースになるとか有り得ない。こういう極度の潔癖さが社会不適合者を増やすことになると思うんだが。
ていうかなぜ、小さなことでわざわざ犯罪者や悪者を増やそうとするのかわからない。マスコミもそう。なぜ何事にも汚い部分を目立たせて報道する? そんなことするから、でかい事件が頻繁に起こるようになるんじゃないのか?



本サイト(http://blurryeyes.makibishi.jp/)のゲームレビューのページが、一応完成しました。
長文レビューは書いてませんが、一言コメントを載せたので、興味のある方は見てやってくださいな。

べ、別に宣伝じゃないんだからね!///


改めて評価と感想を書いてて思ったけど、人間考え方って変わるもんだね。前プレイしたときと、今改めて考えたときのギャップを感じた作品が結構あった。
評価は結構ばっさりとやったつもりです。


選択を放棄するから、夢を見続けなきゃいけないのか。

その結果、何者にもなれず、自分の殻に閉じこもるのか。

最終的に、自分の凝り固まった夢のために融通が利かなくなり、ニュースのネタにされるのか。

「若年層の荒んだ実態!」とか「増える、少年犯罪!」とか「働かない大人たち!」みたいに。



でも、選択するには夢を手放さなきゃいけない。

何者かにはなれるけど、それは本当に自分なのか疑問に思うんじゃないか。


自分である証が「夢」だとするなら、それを手放したとき、自分は自分じゃなくなる。

それが恐ろしくて、足踏みする。悩みだけは有り余るほど背負う。透明な、目に見えないけど、とても重い悩み。それがまた、次の一歩の邪魔をする。

楽しいことは楽しい。だから友達と遊ぶ。わいわいと食事をする。家で漫画を読む。アニメを見る。ゲームをする。本を読む。そして、ぐるぐると回り続ける。


自分である証を、夢以外の自分の証を、どこかに見つければいいんだけど。どこに落ちてる? この広い世界のどこに。見つけられるのか? 気が遠くなるような、深い世間で。



いつまで夢見る猫でいられるかな


ヒマだったので、ホームページをフレーム有の仕様に作り直しました(つってもまだ途中ですが)
ついでにデザインも冬っぽくしてみた。
実はフレームのやり方は半年くらい前に調べてたんですが、そのときは忙しくて作れなかったのです。こうすると新しいページ作るときにかなり楽になるんですよね。

改装ばっかして内容更新しねえじゃんお前っていう苦情は聞こえません。



てゆーかフレームにしてみて思ったけど、広告場所とりすぎな。邪魔。


あれだよね。野球選手って、マウンドとかバッターボックスに立ってるときはめっちゃかっこよく見えるけど、帽子とってスーツ来てテレビ出てるの見ると案外普通の人だよね。

やっぱオーラってすげえんだなあ。なんつーの、気概っていうのかね。これに富む人とそうでない人じゃ、周囲の見え方も全然違うんだろうなあ。



えっ、今日って11月20日なの!?
って素で叫んでしまった。おいおい、月日は何をそんなに急いでるんだい? もっとゆっくり歩いてもいいじゃないか。いや、私がゆっくりしすぎなのか。


好きなことをしてると時間が早いってよく言ったけど、最近はそうも思えなくなってきた。逆に、好きなことをしているほうが時間がゆっくり流れる気がする。充実しているときほど、時間を使ったっていう実感があるって言ったほうがいいかもしれない。面倒なレポートを書いていたり、無意味にニコ動とかを見ている時間は、異常なほど早い。ていうか、感覚がないんだ。まるで意識を失ってたみたいに、ワープしたみたいに、いつの間にか時間が過ぎ去っている。


無意味な時間、ってのが余計だな。前は、無意味な時間なんてなかった。楽しい時間と、嫌な時間。この二つしかなかった気がする。いつから無意味な時間なんてできたんだ? こいつがでてきたせいで、時間の感覚が180°変わったんじゃないか。


あーあ。なんかいまさらだけど、わかった。適応力が異常なほどないんだな、私。ホントに、異常なほど。

気づくの遅すぎか。そっか。



Powered by 忍者ブログ  Design by まめの
Copyright c [ 青空の下で―― ] All Rights Reserved.
http://blurryeyes.blog.shinobi.jp/