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最初に断っておくと、今から書くのは田中ロミオの作品で語られた内容を私なりに解釈したもので、私が心の底からこう思っているというわけではありません。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081211-00000006-yom-sci


別に、頭の中をのぞかれること自体が恐ろしいわけじゃない。もっとも恐ろしいと思うのは、科学が社会において絶対不可侵の領域に達することだ。

心が不可侵であることは、今の科学社会において最後の砦である。権利社会と言ってもいい。科学で料理できないのは、いまや心と権利だけである。
心は個室である。そして、権利である。心の中であれば、いくらでも自分の権利を遂行することができる。だからこそ、権利社会の行く末は個室の量産なのだ。

近代化が生み出したのは権利の拡大だ。そして、権利という言葉の真意は、果てしなく巨大で神聖なものであり、誰もがそうであると信じて疑わない。
しかし、実際にはそうではない。分割できるリソースには限りがある。社会における権利とは一定なのだ。100のものを、多くの人々が分け合っているにすぎない。権利を主張する者が増えれば、当然のように一人ひとりのそれは小さなものになる。この真意と事実のギャップが、全体に混乱をもたらす。
誰もが他者による自らへの介入を快くは思わないだろう。権利が横行する今の時代ならばなおさらだ。権利の真意を信じて疑わないものが、自らの権利が遂行できる範囲が余りに狭いという事実を目の当たりにしたとき、自らのアイデンティティを侵されないためにも、人々は個室を必要とする。話がそれるが、離婚する夫婦が増えるのもこのせいだ。誰もが自分の権利を主張する。しかし、それは思っている以上に小さなものだ。

人々の(信じられている)権利が大きすぎるから、逆に(実際の)権利を食うのだ。現代主張されているそれは、明らかに人々が享受し得るそれをオーバーしている。
だからこそ、物語で多勢が望まない個人的な価値観を提示して、それに従い行動させることが罪になった。権利を侵しかねないすべての事柄が罪になるのだ。結果、人々や果ては小説の登場人物までもが、悩むだけで結論を見つけることができなくなった。この一連の流れが、結局は権利をさらに小さくさせる。

科学の力を信奉する科学者が、人の心を0と1で説明できると考えるかは知らないが、たとえそう思っていたとしても公にそうは言わない。今の時代は心とその権利が不可侵だからだ。だがこのまま権利の縮小と科学の発達が進み、人の心が科学によって白日の下に晒されるとしたなら、良くも悪くもそれは恐ろしいことである。おそらくそれが、科学と権利の立場が逆転する瞬間だからだ。上の記事は頭の中が多少覗けるというだけで、それ以上のことを示唆するものではないと思うが、もし科学で心の中にメスを入れられる時代が来るのなら、そこにはもう心を拠りどころとするすべての芸術は一切存在しないのかもしれない。

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